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入門・初級割稽古で、盆略点前をしています。



入門・初級割稽古で、盆略点前をしています。
今週は盆略点前の割稽古でした。
主に袱紗の扱い方を中心にお送りしています。

懐から袱紗を出して腰に吊る所作
その袱紗を捌いてお道具を清める動き
腰の袱紗をたたみ直して懐中する方法
 
 また、茶巾を畳んでみせてお茶碗を仕組んだり、薄茶を点ててみたりします。また、お客様の作法もいたしました。

 入門講座を行っていると、茶道を習い始めた自分の気持ちを思い出します。そしてもう一つ思い出すのは、茶道をしない友達から掛けられた一言。

茶道のお稽古に2時間かかると話したところ、
『はい?2時間?お茶とお菓子を食べるだけなのになんでそんなに時間がかかるの?』
『だって。お道具運んだり立ったり座ったりするから』
『それのどこが面白いの?』
『……(どこだろう?←心の声)』

 確かに、なんでこんなややこしい事するのかなぁと不思議に思いました。

 特に!
茶杓を握り込んだまま棗の蓋を取るところ。
ここは入門者の泣きどころ😢
茶杓を持ったまま袱紗を持ったり捌いたりするところもそうです。

『茶杓を右手の薬指と小指で握り込んだまま、親指・人差し指・中指の3本で蓋を取ってください』
と隣から声をかけてられても
『えっ…と、薬指と小指ってどうやって動かすんだっけ?』

お道具を扱う手はいつも決まっていて
『これは右手✋』『こっちは左手🤚』
『これは二手🤚✋』『こっちは三手🤚✋🤚』
足捌きも決まっていて👣
『はい右足』『はい左足』

目が回りそうでした (@_@)

だけど、なんか楽しい(^。^)

あー、もう分かんない!
なかなか覚えられないしー!

だけど、やっぱり楽しい(^-^)

お菓子もお茶も美味しいし(^∇^)

 不思議なのは、お茶室でいただくお茶とお菓子のおいしさ。同じものを家で一人で食べていても味が全く違う。ママ友と食べていても違う。
 
真剣に物事に向き合う時の気持ち。
静かな時間。
湯の沸く音。
白い湯気のゆらぎ。
控えめな花の色。
その花から漂う瑞々しい香気。
茶碗に広がる若々しい緑色。
鼻腔をくすぐる微かな茶の匂い。
手のひらに馴染む茶碗の形。
その色、模様。 
 
ああ、わたしは日本人だったのだ。
自分の国のことなんて特に関心もなく、そもそも関心もないために、好きとも嫌いとも思わなかった自分が、『自分が日本人である』と気付いた時の嬉しさに驚いたのでした。
ようやく足が地を踏みしめることが出来て安心したのでした。

子供の頃、よく周りから掛けられる言葉
『がんばれ!』

踏みしめる大地も分からないのに、どっちが上か下かも分からないのに、どうやって頑張れば良いのか。
どこに向かって伸びれば良いのか。

その子供時代からの苛立ちに、茶道が風穴を空けてくれて、光が投げ込まれたような気がしました。

それから、自分の身体。

それまで自分の身体に意識をそんなに向けたことはありませんでした。せいぜい太ったとか、化粧品が合わないとか、そのくらい。

ところが茶道に出会って…
私ってこんなに動けないんだ!
自分の体なのに思う通りに動かせない。
その事実が面白くて仕方ありませんでした。
えー、なんでだろ、なんでだろ。
こうでしょ、こうでしょ、
ここまでは出来るのに、なんでここからが出来ないんだろ。あ、できた!やっとできた。

ピアノの練習に似てると思いました。
私は4歳から25歳までピアノを習っていました。
指練習のハノン、赤いバイエル、黄色いバイエル、ブルグミュラー、ソナチネ、ソナタ…

 子供の頃は、ピアノの練習がイヤでイヤで堪りませんでした。それが高校生になった時に突然目覚めました。
 
 音って不思議だと思ったのです。
同じ楽器で同じ曲を弾いているのに、自分の音と友達の音はまるで違う。そうか、自分も楽器の一部なのか。自分が気持ちよく弾いている時は、聴いている人も気持ちよさそうでした。
 
 その気持ちよさが茶道にもある。
統制の取れた西洋の音楽とは全く異なる次元の文化。
静かなのに。メロディーがあるわけじゃないのに。
身を任せていて心地よい。

 すぅーと鼻から息を吸って静かに吐く。
ああ、私は日本人だ。
自分の国が好きだと思える、その自分が好きだ。

 皆さまにも、そんな気持ちになってもらえたら…。
嬉しいなぁと思うのです。














2021年03月24日